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『トイレのピエタ』は結局なんだったんだろう。

トイレのピエタ』あらすじ


美大を卒業したが、フリーターとして毎日をただ過ごしている青年・園田宏。しかし、彼は突然倒れ医者から胃がんで余命3か月であることを告げられる。ひょんなことから知り合った女子高生、真衣は「今から一緒に死んじゃおうか?」と園田宏に語りかける。

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このあらすじを観た時はもう完全にエモさ爆発ボーイミーツガールアンドバケットリスト物の映画だと思っていたんですが、蓋を開けてみたら「ミュージシャンにならなかった野田洋次郎」のif物だったという話。

 


僕がRADWIMPSを知ったのは高校生の頃。談話室でご飯食べてる傍らで「このバンドめっちゃかっこいいぜ」って友だちがおしゃかしゃまのMVを流してて、(このバンドめっちゃかっこいいやん!)って思ったのが始まりです。以来RADWIMPSの出した曲出す曲は全部追っかけていたんですが、野田洋次郎が単独で行っているillionの「UBU」を聴いた時、なんか違うな… となりまして、そこから自分はRADWIMPSが好きであって、野田洋次郎のことはそんなでもないんじゃないか… と思い始めたのです。そのあとRAD熱病は急速に治まっていき、andymoriにどハマりして、そんなことをしてる間に『トイレのピエタ』が上映されて、といった感じで。なかなかに野田洋次郎単体モノに対する不信感が出来てしまった僕の観たい映画リストの中でもかなり異質を放っていたのがこの映画です。


まあまあ、物語は高層ビルの屋上、主人公が唾を垂らすところからはじまるんですけれども。

 

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主人公の園田(野田洋次郎)は生きてる感じが全くしないところが良いですよね。何事にも無関心、無感動って感じでどことなく爬虫類っぽいオーラを出してる。園田は画家になる夢破れてビルの窓拭きのバイトで生計立ててるんですけど、正社員になりたいってわけでもなく、かと言って別の仕事を探してるわけでもなく… そんな園田くんに社員のおじさんもよくしてあげてるんだけど陰では後輩と一緒になっておじさんのことバカにしてたり。家に帰ってもコンビニ弁当温めてノートパソコンでアクション映画観て寝てまた起きたら仕事行って。いつ死んでもいいよ、でも死ぬのもめんどくさいから生きてる。そんな感じの雰囲気を醸し出すのが天才的に上手い野田洋次郎。これが映画初主演、というより演技自体初なのが信じられませんね。


そんなある日、園田がビルの窓を拭いてると、大学時代に付き合っていたさつき(市川紗椰)とひょっこり再開します。どうやら園田が拭いていたのは、さつきの個展の会場だったわけですよ。久々に元カノに会ったこととそいつが美術の道で成功してることに対してなんだかアンニュイになる園田。

f:id:Lotusn93:20180605012938j:imageテラスハウスとかでめっちゃ炎上するタイプの女、さつき。


このさつきって女は本当に良くない女ですよ、マジで。園田とソリが合わなくて(園田は射精した後に写生するガチでヤバいタイプの人)別れたんだろうけど、園田に対するコンプレックスがもう強い強い。夢破れて窓拭きの園田に対して、「最近絵は描いてんの?」とか、「私個展開くから来てよ」とか、ぐいぐい園田の傷口に塩塗り込んでいくスタイル。挙句、私は園田君が獲りたかった賞をとれた〜とか君は才能あるけど絵を描き続ける才能は無いね〜的なこと別れ際に言い放ったり色々と凄い。元カレを殺す勢いの暴言の数々でどんどん視聴者のヘイトを集めていきます。

 

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そんでこのさつきはとっとと退散してメインヒロインの真衣(杉咲花)が出てくるんですけど、この子もまた悪い意味で気が強い。初対面の大人に金をせびったり、物には当たるわ、学校のプールに金魚ぶちまけるわで結構キレてます。でもその背景にはネグレクト気味の母親とボケてるのか統合失調症なのかわからないおばあちゃんの存在があるんですよね。おばあちゃんは自分じゃ風呂にも入れず、その介護も真衣の仕事。かわいそうな真衣ちゃん。そりゃグレますよ。

f:id:Lotusn93:20180605014014p:image園田の自転車をぶん投げる真衣ちゃん。


しかし、この映画の主役はあくまでも園田なわけで、真衣のキャラクターが深く掘り下げられて行くわけでもなく、あくまでも園田を救済する一人に徹するため(というよりもそういった役柄を与えられている)、園田と出会うことで彼女の生活が一変するわけでも、園田が彼女の背景を知って物語が動くわけでもないんですよね。そこがこの映画のちょっと残酷なところというか。真衣という少女は園田にとって社会への繋がり(友だちだったり家族だったり同僚だったり恋人とか他人との繋がり)の一つでしかないわけで。だから真衣の背景を知っている視聴者の僕らはかわいそうだと思うけど、園田はそんなことも露知らず、真衣はまだまだケツの青いガキンチョであり、挫折とか苦労とかなんにも知らないガキが何言ってんだ? 俺はガンでもう死ぬんや! 俺より不幸な奴はいねえだろ!! っていう認識が中盤のあの大喧嘩につながるわけです。でも現実の僕らだってそんな感じですよね?

f:id:Lotusn93:20180605014331p:image自転車をぶん投げたあと園田に詰め寄る真衣ちゃん


この映画は結局のところ、園田が病気になったおかげで出会えた人たちによって救済されて、生の意味を見出す物語なんだけど、面白いかどうかと聞かれたらウムム… といった感じです。 


ここからはまったく感想なんですけど、物語の中で登場人物がちょくちょく「いま暇?」みたいなことを言い合うんですよ。例えば入院直後の園田に対して横田(リリーフランキー)が「今ヒマ?」って聞くと、園田はどう見ても暇そうなのに「暇じゃないです」って言っちゃうんですよね。すると横田は「病人ってのは結構暇なはずだよぉ?」みたいな返しをする。

場面は変わって、今度は園田が真衣を電話で呼び出すんですよ。真衣は「学生は病人と違って暇じゃないだけど!」とか言いながらも渋々来てくれちゃって。急な呼び出しにもなんやかんやで駆けつけてくれる、それどころかなんだか楽しそうなんですよね。

それで物語の終盤、園田が夜の公園に真衣を呼び出します。真衣は「私忙しいんだけど!」とかなんとか愚痴を言いながらも自転車で駆けつけてくれるんですよ。数日前に大ゲンカしたにも関わらずですよ。

そこで園田が別れを告げる。真衣は園田の容態がかなり悪いことを理解する。今度は真衣が園田に聞く。

真衣「いま暇?」

園田「死ぬほど暇」

 


ここのくだりカッコよかったなぁ〜。これから死ぬやつが死ぬほど暇って皮肉が効いてるよね。さらにここからこの映画はバケットリスト物(というより人生のやり残しを回収する話)に変貌します。今まで散々暇じゃないって言ってたやつがはじめて言った暇発言。この映画では暇じゃないって言ってる時は「生きていない」状態で、暇って言う時「生きている」状態なんですよね。暇=退屈ではなく、これは照れ隠しだったり反抗であったり、素直になれない、うまく生きることが出来ない二人(園田と真衣)の精一杯の自己表現だったのではないでしょうか。

 

普通バケットリスト物には暇なんてないんですよね。だって刻一刻と死に向かっているのに無駄にする時間なんてないじゃないですか。だから精一杯に自分のやり残したことをする。この映画だと、死を宣告されたにも関わらず、残された時間の実感がわかない。それは生きてる実感がないからであり、そのせいで死ぬという実感もわかない。しかし、園田は物語の中で出会い、別れる人たちによって、生の実感を得、逆説的に死の実感を知ったというわけです。

 


そこからは園田のやり残したことを叙情的に映し、物語は結末へ入るのですが、逆転ホームランも奇跡とかもなく、ふつうに園田は死にます。そんな園田に真衣ちゃんはブチ切れ大暴れ、リリーフランキーもこれにはびっくり。自分の腕に包丁を立てるもちょっとしか刺すことが出来ない。

真衣「どうやったら死ねるんですか」

リリーフランキー「わかりません」

ここのリリーフランキーもカッコいい。

 


最後、真衣が一人で夜明けの街を歩いて行きます。園田は死んだけど真衣の人生はこれからも続いていく。でもそれは真衣にとっての夜明けでもあるわけなんですよね。ここから真衣が主役の物語が始まるわけです。

 


この映画のくくりは一応恋愛ですが、僕的には二人の温度差と年齢差、あと結局は野田洋次郎を映したかった感のある映画だったので、大人になれなかった子どもと子どもではいられない子どもが出会うことによってうまれた門出の話だと思うことにします。

 


それにしても野田洋次郎の独特の空気感は凄かったですね。現実世界の野田洋次郎もこんな感じだったら超最高っすね。andymoriも超最高っすよ。小山田さんにもこんな感じで映画デビューしてほしいっす。

 


あとこの映画のレビューみると手塚治虫の「トイレのピエタ」が原案でうんぬんかんぬんとか色々言われてるみたいですけどこれは手塚治虫の話じゃなくて園田の話ですよね? 手塚治虫のドキュメンタリーでこれが出てきたら色々言いたくなる気持ちもわかるけど、これは園田が手塚治虫がやろうとしたことやろうって思っただけなんじゃないですか? 俺だって27歳になったらショットガンで自分の頭ブチ抜いてやろうって思ってるもん。楽器弾けないけど。そのレベルのことを園田がやろうとしただけであって、それによって手塚治虫の評価が変わることはないんじゃないですか? 結構いるんじゃないですか? 27歳で自殺する売れないロッカー。

 


まあだからこそっていうのもあるんですよね。映画的にも結構雑にトイレのピエタ要素をぶち込んでくるので、急に「浄化」と「昇天」じゃリリーフランキーも???ってなっちゃいますよ。原案っていうよりあのシーンが撮りたいがために作られたのがこの映画なんじゃないのかなぁ。まあだからこその微妙なちぐはぐさが自分には楽しめなかった理由なのかも。なんか園田の今までの人生の苦労とか挫折とか、良かったことも悪かったこともひっくるめて、このシーンを撮るために作られて、そこからの出会いも成長とかも全部このシーンのためだけのものって考えるとなんだかなぁって感じです。

 


RADWIMPSが歌うエンディングの「ピクニック」の意味はこの映画観ないとよくわかりません。観てもよくわかりません。RADWIMPSで好きな曲は「37458」「セプテンバーさん」「縷々」です。好きなアルバムは「絶体絶命」です。「前前前世」も好きですよ。